INTERVIEW
地域おこし協力隊 中臣さくらさん

地域の活性化となる取り組みを目指して。

「倉敷下津井地区の魅力を活かした鷲羽山・下津井地域活性化事業」の地域おこし協力隊として大阪から移住された中臣さくらさんに、移住のきっかけや、移住を検討されている皆さんへのアドバイスをお聞きします。

移住者の声 中臣さくらさん

中臣さんは大阪のご出身とお聞きしましたが、いつ頃移住され、移住をされる前はどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

下津井に移住をしたのは、令和4年4月です。
移住する前は、イギリスのパブという形態の飲食店を全国で展開している会社で働いていました。学校を卒業後に入社し、東京や仙台の店舗で経験を積みながら、退職前は東京のお店で店長を任されていました。
30歳が近づき、この先もこの会社で仕事を続けていけば、いずれは現場を離れ、管理部門に異動するのかなと思い、それより自分は、現場でお客さまとずっと一緒にいられるような接客業をしていきたいなと思ったんです。

それで移住を考えられたのですか?

東京に住むのは20代のうちでいいなと思いました。
私は、接客業が好きで、歳をとっても人と接する仕事がしたいと思っていたんです。それは、いつからということではないんですが、当時そう感じました。それで、この先もずっと人と関わる仕事をしたいと思い、飲食業を自分でやりたいと思うようになりました。80歳のお婆ちゃんになっても、お店で人と触れ合える、そんなお店を持ちたいなって思ったんです。
生活ができるだけの収入があって、私の顔を見たり、会話をすることで、元気になったと言ってもらえるようなお店を始めたいと考えています。それが、自分らしく生きられる道かなと思い、会社を辞めて、思いが叶えられる場所がないかと探すようになりました。

「地域おこし協力隊」というのはどんなお仕事なのですか?

都市部に住んでいる人が過疎地域等に移住して、地域での活動を行いながら、その地域に定着してもらうという制度で、3年の任期のうちに地域が活性化できる仕組みなどを作るという仕事です。
私の場合は下津井と鷲羽山の活性化ということで、地域への観光振興や移住の推進など、色々な側面から地域を盛り上げていくという、フリーなミッションで依頼を受けています。具体的には、下津井に多くの人に来てもらうために、地域でイベントを企画・運営したり、地域の活性化につながるような仕組みを考えたり、色々な取り組みを行っています。私としては、いずれ飲食店をやりたいっていう目標があるので、今行っている活動が、そこに向けて繋がっていけばいいなという思いで活動しています。

移住者の声 中臣さくらさん

移住される前は、児島とか下津井という地名はご存じだったんですか?

いえ、まったく知らなかったです(笑)。移住先を探し始めたときに知りました。倉敷は知っていましたけど、鷲羽山もあまり記憶になかったですし、児島とか下津井ってどこだろうって感じでした。

なぜ、下津井を選ばれたのですか?ほかにもどこか探されましたか?

私は大阪出身なので、西日本の海の近い地域がいいなと思い、探していました。
ただ、寒いところは苦手なので、瀬戸内海近辺か太平洋側がいいなと思ったんです。それで岡山県と愛媛県と高知県の移住相談に行きました。
最初はオンラインで各地の担当者の方とお話をさせていただきました。そのときに、今は一緒に活動している下津井シービレッジの正田さんが倉敷の相談を担当されていて、「下津井は良いところだよ!」と熱心にアピールされていました。そのときに初めて下津井というところがあるんだと知りました。その正田さんの説明を聞いて、岡山県への興味が高まり、実際に現地で移住体験をしたんです。
岡山県は倉敷市の他に、真庭市や玉野市などにも行きました。倉敷市では玉島地区にある「お試し住宅」を利用させてもらい、そこでの「市内案内サービス」を利用して鷲羽山に連れて来てもらったのですが、鷲羽山からの景色を見て「めちゃめちゃ綺麗!!」と感動しました。だけど、この景色を見に来ている人が少なくて…。
そのとき、こう感じたんです。「ここには人を呼べるきっかけになるものがちゃんとあるんだから、それを活かせる。」と。そして、「下津井には人もたくさんいて、協力隊という仕事もあるのに、全然活かされていないのはもったいない。ここで何かやってやるぞ!!」と思ったんです。
他にも、交通の便が良く、大阪の実家にもすぐに帰省できるというのもよかったですし、災害が少ないというのも倉敷市を移住先に決めた理由の1つです。

移住者の声 中臣さくらさん

今の住まいはどうされていますか?そして、下津井に住まれている理由をお聞かせください。

今は下津井の町で一軒家の一部を間借りしています。東京で借りていたアパートよりも広くて快適ですよ。家賃も安いですし。でも、ネズミが出たりシロアリが出たりして…。最初は驚きましたけど地元の方に助けていただき、なんとかなりました(笑)。
将来的に下津井の町で飲食業を始めたいと思っているので、最初からこの町に住んで、人と人とのつながりを築いたり、この町のことをもっと知っておきたいなと思ったんです。自分が働きやすくするためには、そこに住むことが一番いいんじゃないかって思いました。

会社に勤めていたころに比べて経済的にはどうですか?

お給料は、以前の方が良かったかもしれません。でも、前職の場合と比べて労働時間も短いし、自由な時間もあります。お金で得られる幸福度よりも「自分にとっての生き方」の方が大切だと思っています。この先、家庭を持ったり、子どもを養っていくとなると、もしかしたら考え方は変わるかもしれませんが、今はそう感じています。

大阪におられるご両親は、地方に移住されたことについてどう思われていますか?

東京にいるときは、職場が夜間に営業する飲食店だったので両親には心配をかけていたと思います。ただ、大阪を出て東京などに住んでいたので、下津井に住むということに関して心配はしていなかったと思います。両親に岡山に来てもらったとき、関わっている人たちにも会ってもらったので、今は安心していると思います。

今の1日の生活スタイルはどんな感じですか?食事とか…

仕事の日も会社員のように就業時間が決まっている訳ではないので、その日の予定に合わせて早起きするときもあれば、ゆっくり過ごす日もあります。移住前と違い、夜に仕事をすることはなく、基本的には夕方の5時くらいには仕事が終わるように調整をしています。以前と比べると、すごく健康的な生活が送れていると思います。
仕事の管理も大切にしており、地域の人から信頼されるように、「嘘をつかない」「裏切らない」「約束は守る」など、基本的なことはきちんとするようにしています。そして、地域に顔を出して話をしたり、いろんな人に会って情報を集めたりしています。
食事は自炊をするようにしていますが、ご近所さんから、おかずのおすそ分けを頂いたりすることも多いですね。とても助かっていますし、周りの方も気にかけてくれていて、地域の中に少し入れさせて貰っているのかなと実感しています。

地域おこし協力隊などとのコミュニケーションはどう取られていますか?

私が住んでいる辺りには、お子さんやご年配の方が多く、同世代の人はあまりいないですね。
なので、最近は他の地域おこし協力隊のメンバーと連絡を取ったりしています。以前は交流も少なく、会う機会もあまりなかったのですが、最近はコミュニケーションを取るようになりました。協力隊の仲間に会いに、倉敷市内まで出かけたりしています。そういう仲間を増やすこともできるし、反対にあまり関わりを増やさないという選択肢もありますし、自分で考えながらやっています。

最後に、これから移住を検討する人たちへのアドバイスをお願いします。

いろんな所に行ってみて、その地域を見たり、聞いたり、話をしてみたり、自分の中で思っていることや感じていることとマッチングするかどうかを比べることが、すごく大事かなと思います。その地域によって人柄や食べ物もそうですし、住環境や移住に関する自治体の支援など、色々な違いがあります。その地域が自分に合った場所なのか、ということを色々な視点で確認することが重要かもしれませんね。
ただ、あまり気負わずに、とりあえず1回住んでみようって感じで、飛び込んでみるのも良いかもしれません。